日光の史跡

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男体山が山岳信仰の聖地として賑わっていたころは女人禁制だったため、女性は中禅寺湖まで行くことができませんでした。ある「巫女さん」が自分なら神様にお仕えする巫女さんだから大丈夫だろうと、上ったところ牛さんと同じに石になったという言い伝えがあります。中禅寺湖湖畔の大鳥居のそばに、巫女石はあります。
ペトリフィカストタルス「石になれ」 ハリーポッターの中で時々出てくる呪文で相手を石にしてしまう呪文です。ハリーポッターの場合は石になった人はまたしばらくすると元に戻っていますが、日光のペトリフィカストタルス「石になれ」の場合は永遠に石になったままのようです。二荒山神社中宮祠にある、牛石も巫女石も、もともとは生きていたそ...
牛石 は石に変えれれてしまった「牛」の事です。
女人近世(にょにんきんせい) 神社・寺院・霊場・修行場などで、女性の出入りを禁じたものです。日光では山中で修業ができるのは男性だけですし、中禅寺湖まで登って二荒山神社、中禅寺などに参拝し、そこで修業することも男性にしか許されていませんでした。 もし、現代でそんなことしたらさっそく、マスコミの大批判を浴びて、ましてや今や...
日光植物園の近く、国道120号線上を挟んで日光植物園の反対側あたりに「夜泣き石」はあります。日光の「夜泣き石」は夜泣きする赤ちゃんを連れて行ってお願いすると赤ちゃんの夜泣きが泊まるというものです。
夜泣き石 (よなきいし) 「夜泣き石」という検索キーワードで検索すると、全国各地の「夜泣き石」がヒットします。 石自体が声を発したり、動いたりする「心霊スポット」的なものと、「夜泣き石」のように、赤ちゃんの「夜泣き」が止まるものとあります。 日光の「 夜泣き石 」 日光の「夜泣き石」は両方の伝説があるそうです。 一つは...
松尾芭蕉は1689年(5代将軍綱吉の時代)江戸を出発し、日光を通って東北、北陸を回って江戸にもどってきて、「奥の細道」という旅行記を書きました。日光には松尾場所が読んだ俳句の句碑がいくつか残されています。
大日堂跡の句碑 「あらたうと青葉若葉の日の光」 『日光山はなんと、尊いことだろう。日の光があんなにキラキラと輝いている。これはきった弘法大師様と東照宮様のおかげだ』 といったような意味で、神君家康公を仰ぎ見る俳句となっています。 この句碑もやはり、1902年(明治35年)の大洪水で流されてしまったので、7年後に再建され...
日光は東照宮や大猷院など、家康公や家光公のお墓だし、文化財としても貴重なものだったので、特別に火災から守る「火消隊」を編成しました。殉職なされた方を弔うために1834年、防火隊碑が浄光寺に建立されました。
八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん) 江戸時代も現代も火災はとても怖いものです。特に、日光のような貴重な文化財がたくさんある場所は、一瞬で今までの歴史的建造物がなくなってしまうので火災には一番注意を払っていました。 1652年4代将軍、家綱の時代に「日光火之番」という、「火消隊」を作りました。その火消(ひけし)...
金谷ホテルの元のなった「金谷武家屋敷」は、一般公開の準備中です。隣に金谷ベーカリの出店があります。
金谷武家屋敷 金谷武家屋敷 は350年くらい前に建てられた、もともと武士の家でした。しかも、「忍者屋敷」と呼ばれているように、天井が低く、建物の中で刀を抜くことができないようになってそうです。一度、中を見たいですね。 現在は外観を眺めるだけですが、もうじき内部も一般公開する予定です。 金谷武家屋敷 は日光最初のホテル ...
日光奉行所は3代将軍徳川家光公の側近「梶定良」の屋敷を奉行所にしていました。江戸幕府が終わり、明治政府になった時に建物も取り壊されてしまったそうですが、金谷ホテルの武家屋敷のように残っていれば一般公開できたのに残念です。
日光奉行所 日光奉行所 は3代将軍徳川家光の家臣「梶定良」のお屋敷だったそうです。梶定良は滝尾神社の運試しの鳥居や神馬の碑を奉納した人です。1871年に(明治4年)日光県が廃止されて 日光奉行所 の建物も取り壊されてしまったそうです。現在では「 日光奉行所 跡」という石碑が立っているだけです。 日光奉行所 の建物 日光...
男体山登頂を目指していた勝道上人が道に迷っていたらお地蔵さまがでてきて導いてくれたという場所です。
空烟地蔵 行者堂から坂道を下っていくと、3代将軍徳川家光公の霊廟、大猷院に到着します。その手間にお地蔵さまがいらっしゃいます。そのお地蔵さまが「空烟地蔵(くうえんじぞう)」です。「空烟(くうえん)」とは家光公の側近の一人、「阿部忠秋(あべただあき)」の法名です。この場所は、勝道上人が男体山の登頂する際に道に迷って困って...
日光が山岳信仰の聖地として賑わっていたころ、多くの修験者僧がここから女峰山に入り、山で修業をしていました。「行者堂」はそんな修業する人を代表して「役 小角(えんのおづめ)」を祀っています。
行者堂 (ぎょうじゃどう) 行者(ぎょうじゃ)とは荒修行を行う人のことです。たとえば、断食や針山の上に座禅をするとか、苦行の行者が有名ですが、行者とは特に山岳修行を行う人をさすようになりました。 行者堂 は修験道の開祖である役小角(えんのこずめ)を祀るために建てられたそうです。 役小角(えんのこずめ) 業者堂のご本尊は...
この先は滝尾神社という、神様の領域に入っていくので不浄はいけませんという石碑です。
大小便きんぜいの碑 滝尾神社へ向かう石畳を歩いていくと「大小便きんぜいの碑」という文字が刻まれた苔むした石碑が見えてきます。要するに、ここから先は神の領域だから不浄はダメですよということです。しかも、庶民対象に書かれているので、文字がひらがなです。 古(いにしえ)の滝尾道 現在はひっそりと行く人もまばらで、のんびりと森...