日光の歴史

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大正天皇の為に日光田母沢御用邸は作られました。1899年(明治32年)から3代にわたる天皇・皇太子が利用しました。現在は公園とともに、建物も一般公開されています。
松尾芭蕉は1689年(5代将軍綱吉の時代)江戸を出発し、日光を通って東北、北陸を回って江戸にもどってきて、「奥の細道」という旅行記を書きました。日光には松尾場所が読んだ俳句の句碑がいくつか残されています。
日光は東照宮や大猷院など、家康公や家光公のお墓だし、文化財としても貴重なものだったので、特別に火災から守る「火消隊」を編成しました。殉職なされた方を弔うために1834年、防火隊碑が浄光寺に建立されました。
毎年、夏を日光で過ごされた大正天皇は、「田母沢御用邸」の近所の大谷川付近を散策しながら読んだ歌です。大正天皇歌碑は慈雲寺の門の手前にあります。
神仏分離と廃仏毀釈運動のあおりで日光の貴重な文化財(特に仏教的施設)は壊滅的被害を受けていました。そこで、日光の貴重な財産を守るために明治天皇に直訴した人が落合源七と巴快寛です。二人の功績をたたえて日光総合会館の玄関に石碑が立っています。
松平正綱が日光に杉並木を植えたことを記念して4つの街道入口と神橋のわきに記念碑がたっています。
神橋のそばに 日光にかかわった人の銅像 が立っています。一人は日光を世界的にも有名な場所にした「天海僧正」ともう一人はその文化的・歴史的貴重な日光を守った「板垣退助」です。