大日橋

大日橋

大日橋 のおかげで便利になりました。

2000年(平成12年)、ウォーキングトレイル事業の一環として作れられた大谷川にかかる吊り橋が「大日橋」です。周辺には桜の木が多く、春には桜の名所として楽しめそうです。この橋ができたことで、憾満が淵から大谷川を渡って国道120号線の方に簡単にいくことができるようになりました。(もちろん、車は通ることはできません。)

大日堂跡

大日如来を祀る「大日堂」は大洪水で基礎の石をとどめただけで後はすべて流されてしまいました。
大日如来を祀る「大日堂」は大洪水で基礎の石をとどめただけで後はすべて流されてしまいました。

大日如来を祀った「大日堂」は1902年(明治35年)の大洪水で、すべて流されてしまいました。お地蔵さまや石碑などは地元の方が見つけて元の場所に戻されたものがいくつか今でも残っていますが、そのほかのものは跡形もなく流されてしまいました。1902年(明治35年)の大洪水はものすごく大きな被害を日光各地にもたらしました。日光の歴史的に価値ある文化財だけでなく、亡くなった人も何百人も出るというものでした。

日光1万歩ハイキング

日光総合会館から1万歩歩けるハイキングコースの中に「大日橋」も入っています。
地図はこちらです
日光市でハイキングするときに参考にしてください。

流されたお地蔵さま建物の基礎芭蕉の句
お地蔵さまも流されてしまって、地元の方が元の場所に戻してくれました。
お地蔵さまも流されてしまって、地元の方が元の場所に戻してくれました。
大日堂の建物はすっかり流されて基礎しか残っていません。
大日堂の建物はすっかり流されて基礎しか残っていません。
松尾芭蕉は1689年(5代将軍綱吉の時代)江戸を出発し、日光を通って東北、北陸を回って江戸にもどってきて、「奥の細道」という旅行記を書きました。日光には松尾場所が読んだ俳句の句碑がいくつか残されています。
松尾芭蕉は1689年(5代将軍綱吉の時代)江戸を出発し、日光を通って東北、北陸を回って江戸にもどってきて、「奥の細道」という旅行記を書きました。日光には松尾場所が読んだ俳句の句碑がいくつか残されています。

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