いろは坂

いろは坂

いろは坂


いろは坂 は日光市街と中禅寺湖を結ぶ道路です。多くの修験者僧が中禅寺湖や男体山を目指して使われていた道です。つづら折りのような急なヘアピンカーブがずっと続く厳しい道路です。カーブの数が「いろは歌」と同じ48か所だったのでその名前がつけられました。秋の紅葉シーズンには渋滞の名所に早変わりします。

いろは坂 のカーブの数


カーブの数は第1 いろは坂 と第2 いろは坂 をたして48か所です。
「 いろは坂 」とよばれるようになったのは昭和の初期のころだそうです。「いろはにほへと…」という「いろは歌」の文字の数だけヘアピンカーブがあったので、その名前が付けられました。

もともとのいろは坂は下りのいろは坂


渋滞に巻き込まれないようにするためには、これくらい早く「いろは坂」を上らないとなりません。
渋滞に巻き込まれないようにするためには、これくらい早く「いろは坂」を上らないとなりません。


秋の紅葉シーズンになると いろは坂 の渋滞はとても厳しいです。上りも下りもほとんど動かいときもあるそうです。
秋の紅葉シーズンになると いろは坂 の渋滞はとても厳しいです。上りも下りもほとんど動かいときもあるそうです。


いろは坂 は下りの第1いろは坂がもともとの いろは坂 で、その後交通事情などで、「昇り専用」の第2 いろは坂 ができました。カーブの数は調整してその由来に合うように48か所になっています。
実際に運転してみるとわかりますが、上りの第2 いろは坂 の方がヘアピンカーブの角度が少しゆるいです。下りの第1 いろは坂 は本当に「つづら折り」という言葉がぴったりなほど、折れ曲がっています。
また、確かに狭い道路で両方向の車が通るのでは運転技術がない私などはきっと、自分の車では奥日光に行かれなかったでしょう。

いろは坂 は女人禁制だった


いろは坂 というより、奥日光は明治の初めまでは女人牛馬禁制の場所で、女性と馬、牛はいろは坂を登ることができずに「馬返し」という場所で引き返すしかなかった。女性も「女人堂」までは上ることができましたが、その先は行かれませんでした。そして、その「結界」を破った巫女さんが石に変えられたり牛も石になってしまったそうです。