慈眼堂(じげんどう)

慈眼堂(じげんどう)

慈眼堂 (じげんどう)

常行堂と法華堂の間に道があります。上り坂になっていて「延命坂(えんめいさか)」というそうです。
その延命坂を上っていくと慈眼堂(じげんどう)にたどり着きます。
以前は公開されていたそうですが、3.11の大震災後、あちこち危険な箇所があるので一般公開は中止しているそうです。
慈眼堂は天海僧正が眠っているところだそうです。

    1. 拝殿
    2. 墓所
    3. 天海蔵(文庫)
    4. 阿弥陀堂
    5. 鐘楼

などがあります。

通る人もいないので、苔がいい感じです。
通る人もいないので、苔がいい感じです。

天海僧正の大師号が「慈眼(じげん)」ということから「 慈眼堂 (じげんどう)」とつけられたそうです。

天海僧正とは

天海僧正は徳川家康・秀忠・家光の3代に仕えた僧侶で、非常に長生きで10月2日に亡くなったそうですが、なんと108歳だったという事です。現代の医療が進んでいる時代でも100歳を超えるのは長寿の部類に入ります。ましてや当時、織田信長は「人間50年」と舞ったくらいですから108歳というのは驚異的な年齢だったことでしょう。
日光と天海僧正はとても深い関係にあり、家康公の霊廟として「日光」を選んだのは「天海僧正」でした。天海僧正は日光の地形をとても詳しく研究して、どこに何を建てるか、すべて秀忠公、家光公に指導していたようです。

天海僧正は謎の人物

天海僧正は年齢の面だけでなく、様々不思議なストーリーがあります。
実は明智道秀だったという話もあります。本当なんでしょうか?
いろは坂を上って、中禅寺湖の手前に「明智平」という地名の場所があります。ここは天海僧正が命名したそうです。
また、日光東照宮の陽明門も随身の家紋が「桔梗」です。
「桔梗」は明智光秀の家紋です。

陽明門 は髄身門です。この人物がだれなのかは東照宮の謎の一つです。
陽明門 は髄身門です。この人物がだれなのかは東照宮の謎の一つです。

もし、明智光秀だったら、どのような気持ちで徳川家3代に仕えていたのでしょうか?でも、考えてみたら自分を滅ぼした豊臣秀吉を徳川家は滅ぼしたわけなので、復讐を遂げるという意味では、徳川家に仕えて、うまく豊臣家を滅亡させるように仕向けたのでしょうか。

慈眼堂のある位置と開山堂との位置関係

日光を開いた「勝道上人」のお墓がある「開山堂」と慈眼堂は丁度、一本の線で結ぶことができます。日光の「鬼門」が開山堂のある方角なので、勝道上人は自らのお墓を設置して日光を守り、外山に毘沙門天を設置して更に守りを固めています。そこで天海僧正も自らのお墓を、鬼門の反対側「裏鬼門」に設定して日光の守りを固めています。勝道上人と天海僧正のお二人に守られているので日光の警備は盤石です。

10月2日には法要があります。

天海僧正の命日、10月2日には、毎年拝殿で法要がいとなわれます。天海僧正の好きな法要だったそうです。とても長いので長講会(ちょうごえ)というそうです。
その時に天海僧正がお好きだった「納豆汁」がだされます。
天海僧正が召し上がられた納豆汁がどんなお味なのか、わかりませんが、納豆汁とはお味噌汁の中に納豆が入った物だそうです。納豆はひきわり納豆を使うそうです。

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