金谷武家屋敷

金谷武家屋敷

金谷武家屋敷 は350年くらい前に建てられた、もともと武士の家でした。しかも、「忍者屋敷」と呼ばれているように、天井が低く、建物の中で刀を抜くことができないようになってそうです。一度、中を見たいですね。
現在は外観を眺めるだけですが、もうじき内部も一般公開する予定です。

金谷武家屋敷 は日光最初のホテル

金谷武家屋敷 は外国人相手の日光最初のホテルです。ヘボン式ローマ字で有名なヘボン博士が日光に来た際に、このお屋敷を宿泊所と提供したことから日光のホテルの歴史は始まりました。1873年(明治6年)「カッテージイン」という名前の宿泊施設としてオープンしたそうです。

金谷武家屋敷 の隣に金谷ベーカリー

金谷武家屋敷 の隣に金谷ベーカリーがあります。外国人相手の宿泊施設という事なので、明治6年から「パン」をメニューに出していたのでしょう。今でも金谷ホテルのパンは美味しいとの評判です。

金谷武家屋敷 は一般公開されます。

金谷侍屋敷正面です。ここからイザベラ・バード夫人をはじめ多くの外国のお客様が泊まられたそうです。

金谷侍屋敷正面です。ここからイザベラ・バード夫人をはじめ多くの外国のお客様が泊まられたそうです。

金谷武家屋敷 は現在では、外観を眺めるだけですが、内部も一般公開する準備が進んでいます。刀が抜かないほど低い天井など、実際に自分で体験したいですね。日本の建物は天井が低いのはこのような理由が背景にあったのでしょう。

関連記事

  1. 日光奉行所は3代将軍徳川家光公の側近「梶定良」の屋敷を奉行所にしていました。江戸幕府が終わり、明治政府になった時に建物も取り壊されてしまったそうですが、金谷ホテルの武家屋敷のように残っていれば一般公開できたのに残念です。

    日光奉行所

    日光奉行所日光奉行所 は3代将軍徳川家光の家臣「梶定良」のお屋敷だったそうです。梶定良は滝尾…

  2. 日光が山岳信仰の聖地として賑わっていたころ、多くの修験者僧がここから女峰山に入り、山で修業をしていました。「行者堂」はそんな修業する人を代表して「役 小角(えんのおづめ)」を祀っています。

    行者堂

    行者堂 (ぎょうじゃどう)行者(ぎょうじゃ)とは荒修行を行う人のことです。たとえば、断食や針…

  3. 日光の七不思議に数えていいかと思いますが、こちらは勝道上人のお弟子さんのお墓ですが、移転しようとすると事故が起きることが何度も起きたので移転はあきらめてここにおいてあるそうです。

    教旻僧都の墓

    教旻僧都の墓(きょうびんそうずのはか)日光東照宮新社務所のすぐそばに勝道上人十大弟子のひ…

  4. 男体山登頂を目指していた勝道上人が道に迷っていたらお地蔵さまがでてきて導いてくれたという場所です。

    空烟地蔵

    空烟地蔵行者堂から坂道を下っていくと、3代将軍徳川家光公の霊廟、大猷院に到着します。その手間…

  5. 男体山が山岳信仰の聖地として賑わっていたころは女人禁制だったため、女性は中禅寺湖まで行くことができませんでした。ある「巫女さん」が自分なら神様にお仕えする巫女さんだから大丈夫だろうと、上ったところ牛さんと同じに石になったという言い伝えがあります。中禅寺湖湖畔の大鳥居のそばに、巫女石はあります。

    巫女石

    ペトリフィカストタルス「石になれ」ハリーポッターの中で時々出てくる呪文で相手を石にしてしまう呪…

  6. 日光開山の祖「勝道上人」のお墓がある「開山堂」近くの仏岩に下に6体の石仏が並んでいます。

    六武天像

    六武天像 (ろくぶてんぞう)六武天像 は開山堂の裏手の崖の足元に設置してある六体の石仏です。…

  7. 日光は東照宮や大猷院など、家康公や家光公のお墓だし、文化財としても貴重なものだったので、特別に火災から守る「火消隊」を編成しました。殉職なされた方を弔うために1834年、防火隊碑が浄光寺に建立されました。

    防火隊碑

    八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん)江戸時代も現代も火災はとても怖いものです。特に、…

  8. 松尾芭蕉は1689年(5代将軍綱吉の時代)江戸を出発し、日光を通って東北、北陸を回って江戸にもどってきて、「奥の細道」という旅行記を書きました。日光には松尾場所が読んだ俳句の句碑がいくつか残されています。

    松尾芭蕉 句碑

    大日堂跡の句碑「あらたうと青葉若葉の日の光」 『日光山はなんと、尊いことだろう。日の光があん…

最近の記事

  1. 花石神社
  2. 湯の湖湖畔の紅葉
  3. 清滝寺
  4. 裏見の滝
  5. 浄光寺のお地蔵様
PAGE TOP