二荒山神社一覧

二荒山神社一覧

日光山二荒山神社

日光二荒山神社本社中宮祠本宮神社滝尾神社若子神社
日光二荒山神社はもともとは大谷川近くにありましたが大谷川の氾濫によりこの地にうつりました。
日光二荒山神社はもともとは大谷川近くにありましたが大谷川の氾濫によりこの地にうつりました。

日光東照宮の隣にある「二荒山神社」は大黒様を祀っていて縁結びの神様なので、
恋愛、商売繁盛など、すべてのご縁にご利益があると評判の神社です。
境内の中にある神苑には、二荒霊泉のお水で点てたお抹茶やコーヒーをいただけるあずまやもあります。
東照宮とともにいつも参拝客が絶えません。

拝殿・渡殿・本殿

拝殿は一般の方が儀式や参拝の為に上がる場所です。その奥に神様がいらっしゃる「本殿」が続きます。
拝殿は一般の方が儀式や参拝の為に上がる場所です。その奥に神様がいらっしゃる「本殿」が続きます。

二荒山神社の本殿 は1619年に完成し、現在もまだ大規模な修復の手を入れることなく存在している唯一の建物だそうです。本殿は神様が祭事の時などの為に一時おいでになる場所です。二荒山神社の神様は大己貴命(おおなむちのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)そして味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)です。

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日光二荒山神社 中宮祠

二荒山神社中宮祠は男体山山頂の奥宮と、日光山内にある二荒山神社の中間にあるので、中宮祠と呼ばれています。
二荒山神社中宮祠は男体山山頂の奥宮と、日光山内にある二荒山神社の中間にあるので、中宮祠と呼ばれています。

平安時代が始まる少し前、784年に修業の場として勝道上人が作られた。
日光山内にある二荒山神社本社と男体山の山頂にある奥宮の中間にあるため、中宮祠というそうです。
境内には樹齢1000年のイチイのご神木や七福神が祀られています。
二荒山神社中宮祠の境内には「幸運の杜」といって、何本ものご神木が祀られているパワースポットの森があります

日光開山の祖「勝道上人」が大谷川沿いに790年、本宮神社を立てました。
日光開山の祖「勝道上人」が大谷川沿いに790年、本宮神社を立てました。

勝道上人が大谷川を渡って小さな祠をお建てになりました。山岳信仰の聖地「日光」の始まりとも言えます。
本社(新宮)、滝尾神社とともに、「日光三社権現(にっこうさんじゃごんげん)」として敬われてきました。
以前は神橋そばの「日光橋」付近にありましたが、洪水等の被害から現在の場所に移りました。

江戸時代までは神仏習合だったので、左右に仁王像が置かれていました。
江戸時代までは神仏習合だったので、左右に仁王像が置かれていました。

滝尾神社のご神体は「田心姫命(たごりひめのみこと)」という女性の神様です。
「田心姫命(たごりひめのみこと)」は天照大神(あまてらすおおかみ)が須佐之男命(素戔嗚尊)の剣を嚙み砕いて霧のように吐き出した息吹きから生まれたという3女神の一体です。
海の神様という位置づけですが、日光には海はないので、大谷川の氾濫とかそういったことを沈めてもらうためにお祀りしたのでしょうか。
滝尾神社に行くには、日光東照宮の社務所脇の路を登っていきます。開山堂などを通る道で「もう一つの日光」と呼ばれている史跡探勝路です。

若子神社(じゃっこじんじゃ)は、もともとは寂光寺というお寺でした。江戸時代まではとても賑わっていました。ですが、明治政府の出した神仏分離令で廃寺となり、その代わりに「若子神社」となりました。寂光の滝がすぐそばにあります。
若子神社(じゃっこじんじゃ)は、もともとは寂光寺というお寺でした。江戸時代まではとても賑わっていました。ですが、明治政府の出した神仏分離令で廃寺となり、その代わりに「若子神社」となりました。寂光の滝がすぐそばにあります。

空海が滝尾神社を創建したのち、寂光の滝で修業していたら、夢で女神が出てき田ので、この地に小さな祠を建てました。
室町時代には寂光寺は多くの修験者僧が修業して繁栄していました。
明治の「廃仏毀釈」で被害を受けました。明治以降「若子神社」と改められ、 祭神は下照姫命(したてるひめのかみ)です。
下照姫神は、大国主神の娘で、味鋤高彦根神の同母妹、そして、天若日子の妃です。下光比売とも書かれます。あかる姫とも呼ばれます。
今では参拝する人も少なく、本殿も高い場所に建てられているため、行くのには勇気がいります。

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