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松尾芭蕉 句碑

松尾芭蕉は1689年(5代将軍綱吉の時代)江戸を出発し、日光を通って東北、北陸を回って江戸にもどってきて、「奥の細道」という旅行記を書きました。日光には松尾場所が読んだ俳句の句碑がいくつか残されています。

大日堂跡の句碑

「あらたうと青葉若葉の日の光」
『日光山はなんと、尊いことだろう。日の光があんなにキラキラと輝いている。これはきった弘法大師様と東照宮様のおかげだ』
といったような意味で、神君家康公を仰ぎ見る俳句となっています。
この句碑もやはり、1902年(明治35年)の大洪水で流されてしまったので、7年後に再建されたものです

松尾芭蕉 はスパイだった?

松尾芭蕉が泊まったという、水戸藩の僧坊がありました。

松尾芭蕉が泊まったという、水戸藩の僧坊がありました。

学校の授業で必ず出てくる松尾芭蕉の「奥の細道」、最初は俳句集だという認識でした。
そのうちに、これは江戸時代の「旅行記」なんだと思いました。
ところが、「松尾芭蕉は幕府のスパイ」だったという話が出てきました。
「俳人」という隠れ蓑で、実は幕府の情報を直接、地方の代表者に直接伝える役割と、地方の情報を幕府に直接伝える役割があったそうです。確かに、松尾芭蕉は日光では水戸藩の僧坊に泊まっているそうなので、そんなこともあったかもしれません。