六武天像

六武天像 (ろくぶてんぞう)

六武天像 は開山堂の裏手の崖の足元に設置してある六体の石仏です。六武天像とは四天王に帝釈天と梵天(毘沙門天)を加えた6人の仏様ですが、日光の六武天像は毘沙門天の代わりに不動明王がいます。

六武天像 のメンバー構成

六武天像 のメンバーは四天王の4人と帝釈天と梵天(毘沙門天)の二人を加えて6人ですが、日光の開山堂の裏手にある六武天像は梵天(毘沙門天)の代わりに不動明王が置かれています。

毘沙門天はどこに行ったのか?

毘沙門天の代わりにおかれている不動明王

毘沙門天の代わりにおかれている不動明王

毘沙門天さんは、正面にみえる外山の毘沙門天堂の中にいらっしゃいます。外山というのは、東照宮や輪王寺などがある「日光山」の鬼門に当たるため戦の仏神である毘沙門天を鬼門に設置したそうです。毘沙門天は戦の仏神といわれて上杉謙信などは自分は毘沙門天の生まれ変わりだと言っていたそうです。

なぜ不動明王がかわりなのか?

では、毘沙門天が日光山の鬼門を守るために外山に行っている間、不動明王が代わりにおかれているのはなぜでしょうか?よくわかりませんが、不動明王も剣をもって、強そうな形相をしているからでしょうか。

仏岩(ほとけいわ)

仏岩といっても、今では地震で無くなってしまったので、これではよくわかりませんね。

仏岩といっても、今では地震で無くなってしまったので、これではよくわかりませんね。

六武天像 がおかれている崖を仏岩(ほとけいわ)といいます。昔はそこに仏様の姿をした石があったそうですが、地震で壊れてしまったそうです。

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