釈迦堂

釈迦堂

殉死の墓を目指して歩いて行くと、正面に「釈迦堂」があります。その奥に、「殉死の墓」があります。
釈迦堂は1621年に仏岩のある場所に移されたときに、「妙道院(みょうどういん)」が建立されて、山の菩提寺として、釈迦堂とともに修業の場となったそうです。別名「仏道寺」ともいうそうです。
そして、1641年に田母沢御用邸の正面の現在の場所に移転されました。
1616年に徳川家康公が死去して翌年、日光に移ってきているので、秀忠公も日光東照宮の整備をしているので、きっとその関係で、移転したのでしょう。

釈迦如来像

釈迦堂とは一般的に「釈迦如来像」を本尊とする仏堂、寺院につけられる名称です。日光の「釈迦堂」も釈迦如来座像をご本尊としているそうです。

妙道院(みょうどういん)

以前は賑わっていた場所ですが、いまでは、この表門そして、奥の釈迦堂を残すだけです。

以前は賑わっていた場所ですが、いまでは、この表門そして、奥の釈迦堂を残すだけです。

徳川家康に日光を霊廟とするように勧めた天海僧正は1643年11月13日に108歳で亡くなりました。そして、亡骸は日光に運ばれて、妙道院で7日間の法要を行ってから、現在の墓所に埋葬されたそうです。
江戸時代までは妙道院、釈迦堂は参拝する人も多く、修業に訪れる僧侶も大勢いました。すぐ近くには、山に入って修業ができる女峰山、寂光の滝、寂光寺などもあったので賑わっていた場所だったという事です。
1684年の「日光大火」と呼ばれる大火災で、四本龍寺の観音堂も消失してしまっているし、妙道院も釈迦堂、表門を残して消失してしまいました。さらに、明治政府の出した神仏分離令の後に起こった「廃仏毀釈」により、釈迦堂付近の風景は江戸時代までの神仏習合の風景とは全く変わったものとなってしまいました。仏像や石仏の歴史的・文化的価値を考えると「神仏分離令」は、残念な結果を残しているようです。

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