もう一つの日光ー神橋コース

歴史探勝路(神橋~滝尾コース)

神橋板垣退助銅像天海僧正(慈眼大師)銅像深沙王堂(じんじゃおうどう)太郎杉・杉並木寄進碑本宮神社四本竜寺紫雲石(しほんりゅうじしうんせき)四本竜寺三重塔(しほんりゅうじさんじゅうのとう)四本竜寺観音堂(しほんりゅうじかんのんどう)児玉堂(こだまどう)教旻僧都の墓(きょうびんそうずのはか)養源院跡(ようげんいんあと)開山堂(かいざんどう)勝道上人のお墓(しょうどうしょうにんのおはか)観音堂(産の宮)陰陽石(おんようせき)六武天像 (ろくぶてんぞう)北野神社手掛石(てがけいし)神馬の碑(しんめのひ)大小べんきんぜいの碑白糸の滝別所跡(べっしょあと)影向石(ようごうせき)運試しの鳥居滝尾神社縁結びの笹無念橋・三本杉滝尾稲荷神社酒の泉小種石行者堂(ぎょうじゃどう)空烟地蔵(くうえんじぞう)
日光開山の祖「勝道上人」が大谷川を渡るために神様が投げてくれた蛇の橋が「神橋」です。正面に勝道上人たちを渡らせてくれた神様を祀るお堂があります。

日光開山の祖「勝道上人」が大谷川を渡るために神様が投げてくれた蛇の橋が「神橋」です。正面に勝道上人たちを渡らせてくれた神様を祀るお堂があります。

日光に来てまず目に入るのが「 神橋 」です。ちょうど、日光山の入口にあり、大谷川にかかる橋の事です。その昔、勝道上人が日光に来た時に大谷川の流れがあまりにも急で渡れずにいると神様が現われて2匹の蛇を投げて、その蛇が橋のようになって渡させてくれたという言い伝えがあります。

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日光金谷ホテルに上がっていく道のふもとに立っています。

戊辰戦争で官軍の参謀を務めた板垣退助は日光が戦火で焼失するのを防ぎました。

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徳川家康公に「日光」の地が最高のパワースポットであると推薦した「天海僧正」の銅像は神橋の反対側に日光山に向かう形で立っています。

徳川家康公に「日光」の地が最高のパワースポットであると推薦した「天海僧正」の銅像は神橋の反対側に日光山に向かう形で立っています。

天海僧正の銅像は神橋の反対側にあり、ちょうど日光東照宮などを仰ぎ見る位置にあります。天海僧正と日光のかかわりは非常に濃く、また、天海僧正の出生が不確かなので明智光秀と天海僧正を紐づける様々な伝説があります。

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深沙王堂の前で3人で縁結び

深沙王堂の前で

「神橋」の北側に 深沙王堂 (じんじゃおうどう)と呼ばれる小さなお堂があります。小さなお堂なので車だと気がつかないかもしれません。勝道上人が大谷川を渡るのに流れがあまりにも急で渡れなくて困っていたところに2匹の蛇を投げてくれた神様を祀っています。

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松平正綱が杉を植えて杉並木を作ったことが記念して建てられた碑。そばには杉の巨木「太郎杉」が植わっています。

松平正綱が杉を植えて杉並木を作ったことが記念して建てられた碑。そばには杉の巨木「太郎杉」が植わっています。

日光には杉の木がたくさんありますが、神橋のそばには太郎杉と呼ばれる杉の巨木と杉並木寄進の碑があります。太郎杉は東照宮付近では最も大きい杉だそうです。

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日光開山の祖「勝道上人」が大谷川沿いに790年、本宮神社を立てました。

日光開山の祖「勝道上人」が大谷川沿いに790年、本宮神社を立てました。

四本龍寺を建立した勝道上人はその隣に日光山の神々を祀る小さな神社を建立しました。大谷川と稲荷川の合流地ちかくです。それが日光二荒山神社の始まりです。

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勝道上人が祈りをささげていると4本の紫色の煙が男体山の方角に上って行ったそうです。

勝道上人が祈りをささげていると4本の紫色の煙が男体山の方角に上って行ったそうです。

「 四本龍寺 (しほんりゅうじ)」は日光開山の祖「勝道上人」が大谷川を渡った後に、千手観音を祀るお寺として建立しました。

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四本龍寺、三重塔は源実朝公を弔うため建立されました。

四本龍寺、三重塔は源実朝公を弔うため建立されました。

四本龍寺の三重塔は、1219年に大銀杏の木のそばで暗殺された源実朝の霊を鎮めるために1241年に建てられました。鎌倉幕府の3代将軍であり、歌人としても有名な実朝でした。

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日光開山の祖「勝道上人」が建立した四本龍寺の観音堂。白木作りです。

日光開山の祖「勝道上人」が建立した四本龍寺の観音堂。白木作りです。

本宮神社の向こう側に観音堂と三重塔があります。勝道上人が千手観音を祀った観音堂です。観音堂は何度が火災で焼失という災難にあっています。現在の建物も1684年に焼失した後に再建されたものです。

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児玉堂

鳥居があるので神社の管轄かと思いますが、児玉堂は輪王寺の管轄です。これも神仏習合の名残でしょう。

児玉堂(こだまどう)は弘法大師空海が修業していたら2個の玉が現れたので、小さい方の玉のために建てられたそうです。

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教旻僧都(きょうびんそうず)の墓はお墓を動かそうとすると事故が起きる不思議なお墓です

教旻僧都(きょうびんそうず)の墓はお墓を動かそうとすると事故が起きる不思議なお墓です

日光東照宮新社務所のすぐそばに勝道上人十大弟子のひとり、教旻僧都(きょうびんそうず)のお墓があります。

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松尾芭蕉が泊まったという、水戸藩の僧坊がありました。

松尾芭蕉が泊まったという、水戸藩の僧坊がありました。

養源院 跡というのは、徳川家康公の側室「お六の方」( 陽源院 )の菩提を弔うために「お勝の方」(英勝院)が建立したお寺です。英勝院は藩主頼房の養母なので 養源院 は水戸家の僧房でした。

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開山堂付近はパワースポットです。

この杉の木からものすごいパワーが出ているそうです。

「 開山堂 」とはその寺院の開山の像を祀ったお堂の事です。日光を開いたのは勝道上人です。ですから、日光の 開山堂 には中央に勝道上人の像と左右に10人のお弟子さん像がまつられています。

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日光開山の祖「勝道上人」のお墓は、この開山堂の裏手にあるものだけでなく、中禅寺湖にある上野島こうづけじまと、竜頭りゅうずの滝近くの瑠璃ガ壺(るりがつぼ)の3か所に分骨してあるそうです。

日光開山の祖「勝道上人」のお墓は、この開山堂の裏手にあるものだけでなく、中禅寺湖にある上野島こうづけじまと、竜頭りゅうずの滝近くの瑠璃ガ壺(るりがつぼ)の3か所に分骨してあるそうです。

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開山堂の左隣に小さなお堂があります。安産祈願に多くの妊婦さんがお参りします。

開山堂の左隣に小さなお堂があります。安産祈願に多くの妊婦さんがお参りします。

観音堂とも呼ばれています。開山堂の左に位置しています。朱塗りの建物で、石の鳥居があります。そして、特に特徴的なのが建物の中に将棋の駒がたくさん置かれているとこです。

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男性(陽)と女性(陰)を表している自然の石です。こちらも安全祈願でお詣りしていかれる方も多いそうです。

男性(陽)と女性(陰)を表している自然の石です。こちらも安全祈願でお詣りしていかれる方も多いそうです。

産の宮のそばに「 陰陽石 (おんようせき)」という名称の石があります。

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日光開山の祖「勝道上人」のお墓がある「開山堂」近くの仏岩に下に6体の石仏が並んでいます。

日光開山の祖「勝道上人」のお墓がある「開山堂」近くの仏岩に下に6体の石仏が並んでいます。

六武天像 は開山堂の裏手の崖の足元に設置してある六体の石仏です。六武天像とは四天王に帝釈天と梵天(毘沙門天)を加えた6人の仏様ですが、日光の六武天像は毘沙門天の代わりに不動明王がいます。

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北野神社

石鳥居をくぐり、石段をくぐると北野神社の石の祠がある。その後ろに梅鉢が彫られています。

北野神社は学問の神様である菅原道真公(天神様)を祀っています。石の鳥居がありますが、建物などなくひっそりと石だけが積み上げられています。

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北野神社のお参りの後になでると字がきれいになるといわれています。

北野神社のお参りの後になでると字がきれいになるといわれています。

手掛け石 (てがけいし)とは、昔、滝尾神社のご祭神の田心姫命(たごりひめのみこと)がお手をかけた石なので、手掛け石というそうです。

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1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康公がお乗りになった馬を悼む石碑です。

1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康公がお乗りになった馬を悼む石碑です。

神馬の碑 (しんめのひ)というのは、徳川家康公が関ヶ原の戦いで乗った名馬の碑だそうです。

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この先は滝尾神社という、神様の領域に入っていくので不浄はいけませんという石碑です。

この先は滝尾神社という、神様の領域に入っていくので不浄はいけませんという石碑です。

ここから先は神の領域だから不浄はダメですよということです。しかも、庶民対象に書かれているので、文字がひらがなです。

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高さ10メートルの白糸の滝。山岳信仰の聖地として人気が高い。

高さ10メートルの白糸の滝。山岳信仰の聖地として人気が高い。

樹齢数百年の杉並木の間の石畳を歩いてやっと滝尾神社の入り口に到着しました。ここに、白糸の滝があります。

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昔は滝尾神社の別当の別所がありましたが、今では建物の跡があるだけです。

昔は滝尾神社の別当の別所がありましたが、今では建物の跡があるだけです。

東照宮より前の日光の時代は山岳信仰の聖地として、特に滝尾神社のあたりが賑わっていました。ですから、多くの修験者僧が修業するために「別所」と呼ばれる庵や仏堂を立てました。

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以前はお寺があったということですが、今ではこのような苔むした小さな祠があるだけです。

以前はお寺があったということですが、今ではこのような苔むした小さな祠があるだけです。

「影向石」とは820年に空海がこの地で祈っていたら、美しい女神が現れたというエピソードのある石です。

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「運試しの鳥居」は石鳥居の穴の中に小石を3回投げて、その日の運勢を占います。

「運試しの鳥居」は石鳥居の穴の中に小石を3回投げて、その日の運勢を占います。

滝尾神社の楼門の手前に石の鳥居があります。鳥居の真ん中に穴が空いているのでそこに3個の石を投げて通った数で運勢を占うというものです。

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江戸時代までは神仏習合だったので、左右に仁王像が置かれていました。

江戸時代までは神仏習合だったので、左右に仁王像が置かれていました。

滝尾神社は820年に弘法大師空海が作ったといわれています。ご神体は大己貴命(おおなむちのみこと)の妃で、田心姫命(たごりひめのみこと)です。

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片手で笹を結ぶことができると思っている人と結婚できるという言い伝えがあるので、縁結びというと恋人どおしを連想しますが、「良縁」とは恋人に限らず、様々な場面の縁を結んでくれるのが二荒山神社、滝尾神社のパワーだそうです。

片手で笹を結ぶことができると思っている人と結婚できるという言い伝えがあるので、縁結びというと恋人どおしを連想しますが、「良縁」とは恋人に限らず、様々な場面の縁を結んでくれるのが二荒山神社、滝尾神社のパワーだそうです。

「縁結びの笹」は神社の建物の間に植わっています。石の塀に囲まれて「縁結びの笹」の看板があるのですぐにわかります。

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ご神体「女峰山」を遥拝する為に身を清めるために渡ります。

ご神体「女峰山」を遥拝する為に身を清めるために渡ります。

滝尾神社の後ろに3本の杉の木があり、しめ縄がしてあり、正面には石の鳥居と塀で結界が施されています。この3本の杉の木が滝尾神社の「ご神木」です。さらに正面に行くためには「 無念橋 」という小さな石の橋を渡ります。

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素晴らしいですね。願い語はなんでも可能という滝尾稲荷神社です。

素晴らしいですね。願い語はなんでも可能という滝尾稲荷神社です。

滝尾稲荷神社 は滝尾神社と同じ時期にやはり、弘法大師空海によって建てられました。

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弘法大師空海が滝尾神社のそばの湧き水を汲んで神様に捧げた水でお酒を造ったらとっても美味しいお酒ができたという事です。

弘法大師空海が滝尾神社のそばの湧き水を汲んで神様に捧げた水でお酒を造ったらとっても美味しいお酒ができたという事です。

弘法大師空海がこの泉の水を汲み、神にささげたという事です。そして、そのお供水が酒の味がすることから、この水でお酒を造るととても美味しいお酒ができたそうです。

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鳥居があるので、ここは注意して真ん中は避けてあるきましょう。

鳥居があるので、ここは注意して真ん中は避けてあるきましょう。

子宝に恵まれない人に子供を授ける霊力のある石が「子種石」です。むかしは「子種権現」といったそうです。

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日光が山岳信仰の聖地として賑わっていたころ、多くの修験者僧がここから女峰山に入り、山で修業をしていました。「行者堂」はそんな修業する人を代表して「役 小角(えんのおづめ)」を祀っています。

日光が山岳信仰の聖地として賑わっていたころ、多くの修験者僧がここから女峰山に入り、山で修業をしていました。「行者堂」はそんな修業する人を代表して「役 小角(えんのおづめ)」を祀っています。

行者(ぎょうじゃ)とは荒修行を行う人のことです。たとえば、断食や針山の上に座禅をするとか、苦行の行者が有名ですが、行者とは特に山岳修行を行う人をさすようになりました。

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男体山登頂を目指していた勝道上人が道に迷っていたらお地蔵さまがでてきて導いてくれたという場所です。

男体山登頂を目指していた勝道上人が道に迷っていたらお地蔵さまがでてきて導いてくれたという場所です。

行者堂から坂道を下っていくと、3代将軍徳川家光公の霊廟、大猷院に到着します。その手間にお地蔵さまがいらっしゃいます。そのお地蔵さまが「空烟地蔵(くうえんじぞう)」です。

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