大猷院殿一覧

大猷院殿(たいゆういんでん)

東照宮と 大猷院 と両方、行ってみるととても似ていることがわかります。東照宮の作りを少し小ぶりにして装飾も少し地味にした感じが大猷院です。ですが、大きく違うところは日光東照宮が「神社」で、大猷院は「お寺」だという事です。大猷院は「日光山輪王寺」の管轄です。

大猷院 は東照宮とそっくりです。

入口にも同じような仁王門があり、鼓楼・鐘楼があり、唐門があって「拝殿」「本殿」があり、その奥にお墓があります。
多少規模が小さいだけで、ほとんど東照宮と同じような作りです。

大猷院の拝殿には「天蓋」があります。

「拝殿」に上がると住職さんが「大猷院はお寺なんですよ。なぜかというと、天蓋があるからです。」そして、もし神社か、お寺かわからない建物に入ったら、天井を見て「天蓋」があったらお寺だと思って、お焼香してください。なかったら、神社なので、二礼・二拍手・一礼してくださいって、教えてくれました。
神君家康公は遺言で神になった
徳川家康公は遺言で自分を神として祀るようにと残しました。当時の覇者は皆、自分を神にしていました。豊臣秀吉も「豊国神社」があり、自分を神にしていきました。徳川家康公はその様子を見ていたので、晩年、天海僧正と相談して自分を神として祀るのに一番良い土地を探させ、日光が選ばれたのです。

歴代将軍家のお墓は東京にあります。

家光公はその遺言で日光にお墓を作るようにしましたが、その後の将軍たちのお墓は上野寛永寺と芝増上寺に交代で作られました。家光は遺言で「死後も魂は日光山中に鎮まり、東照公おそば近く侍り、使えまつらん」ということなので、日光山の中にお寺を建ててお墓を作ったというわけです。
だから、大猷院は東照宮の方向を向いていて、建物もほとんど東照宮を同じような作りになっているわけです
ですが、神様ではなかったので、お寺なんです。

大猷院 拝殿の「天蓋」

ちなみにその「天蓋」ですが、家光公のお姉さんにあたる加賀の前田家に嫁いだ「珠姫様」の献上品だそうです。そして、その天蓋の真下に座られる方がお部屋で一番偉い方だそうです。

大猷院殿

徳川 家光 公は1651年4月20日、江戸城で亡くなりました。遺言で徳川 家光 公は「死してなお、権現様に使えまつらん」と言い残しました。そこで、4代将軍、徳川家綱公は御年11歳ですが、お父様である徳川 家光 公の遺言通りのお墓をつくりました。それが、「日光廟大猷院(にっこうびょうたいゆういん」です。
大猷院の建物はすべて、東照宮の方角に向って建てられています。

家光 好みの霊廟、「大猷院」

家光 がどれだけ、神君家康公を大事にしていたかを家臣のものは熟知しているので、神君家康公の霊廟である東照宮をベースに、そっくりにはならないような配慮がされていて、 家光 が生きていたら「良くできました」とほめてくれそうな出来栄えです。

大猷院 はお寺です。

大猷院 と東照宮はよく似ていますが、決定的に違う点は、東照宮は神社で、 大猷院 はお寺です。 大猷院 を入口から入ってくると、仁王門があったり、唐門があったりと似ている部分が多いのですが、 大猷院 の拝殿に上がって、天井を見ると「天蓋」があります。「天蓋」は神社にはありません。

大猷院の主な施設

仁王門大猷院 の最初の門、2体の仁王像が守っている
御水舎 12本の御影石に支えられた御水舎

二天門日光山内で一番大きい門。風神・雷神や四天王などが門を守る
夜叉門牡丹の模様で飾られているので牡丹門とも言います。
唐 門家光公の干支の竜の彫刻がたくさんあります。
拝殿と本殿拝殿の天井には140の竜の絵が描かれています。
皇嘉門家光公のお墓の入口の門で、竜宮門とも言われています。

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