明治35年の 山津波

明治35年の 山津波

広島の土砂災害

2014年8月20日に起きた広島の土砂災害の報道が毎日、あります。しかも、当初は行方不明者の方が多かったのですが、日が立つにつれて死者の数が増えて行方不明者の数が減っていきました。土石流に飲まれてしまった方々が発見されていくにつれて死者の数が増えたそうです。

足尾台風

1902年(明治35年)、足尾台風は9月28日、朝、神奈川県横須賀市上陸し、東京の北側を通り、その後栃木県足尾付近を通過し、東北へ進み日本海へ抜けていきました。
足尾台風は小さい台風でしたが、被害は大きく神奈川県、栃木県、茨城県など関東全域に大きな被害をもたらせたそうです。

神奈川県の被害

神奈川県では台風の接近時と満潮が重なって高塩が発生し、海岸付近の家屋に大きな被害がありました。
小田原町では死者11人、負傷者184人、家屋の被害(当時の総戸数3497戸中)は流失293戸、全壊144戸、半壊69戸、床上浸水300戸、床下浸水700戸を記録した

日光の被害

寂光・憾満が淵コースは滝尾コースと同じで歩く人が少ないので、日光の歴史に浸りながらゆっくりと歩くことができます。ただし、史跡自体が東照宮や二荒山神社などと比べると地味めな物が多いことと、現在では人のいない建物も神社、寺院、建物が多いので、日光の歴史に詳しい方に案内していただかないと通り過ぎてしまうことも多いです。

寂光・憾満が淵コースは滝尾コースと同じで歩く人が少ないので、日光の歴史に浸りながらゆっくりと歩くことができます。
日光の地図はこちらからダウンロードできます。

栃木県では死者・行方不明者219名、家屋の全壊・流失約8,200戸、足尾で315ミリの雨量を記録しました。渡良瀬川が洪水となり、足尾での被害が大きかったことが後にこの台風の名称となりました。
また、日光中宮祠では土石流が発生。中禅寺湖に流れ込んだ土砂が3メートルの高波を起こしました。この高波は信じられないことに華厳の滝を超えて、大谷川に流れ込み、神橋や大谷橋などが流失しました。憾満が淵の100体近くあったお地蔵さまたちも流されてしまって、現在では70体くらいしかありません。
大日堂というお寺はその建物すべてが流されてしまって、現在では基礎の石が残っているだけです。
中禅寺湖周辺でも、中禅寺の大事な仏像たちが流されてしまい、日光は大事な文化財が数多くあるがゆえに、その被害も尋常なものではありませんでした。
それらの多くはまた、その場で復旧されました。また、場所をかえて、復元されたものもあります。自然災害なので、仕方がありませんが、1902年の災害がなければ、日光の風景はまた違ったものだったでしょう。そし明治35年の日光の 山津波 と、同じく明治時代にあった、神仏分離令に端を発した「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」、この二つの出来事は日光の風景を大きく変えました。

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