養源院 跡

養源院 跡

養源院跡(ようげんいんあと)

養源院のお墓があります。
松尾芭蕉が泊まったという水戸藩のお寺は今はなく養源院と英勝院のお墓がひっそりと並んでいます。

養源院 跡というのは、徳川家康公の側室「お六の方」( 陽源院 )の菩提を弔うために「お勝の方」(英勝院)が建立したお寺です。英勝院は藩主頼房の養母なので 養源院 は水戸家の僧房でした。奥の細道にも出てきます。今では建物はなくなっていて敷地内に小さなお墓が二つ並んでいるだけです。 陽源院 と英勝院のお墓だそうです。

養源院 と英勝院

養源院 はもともとは、英勝院(お勝の方)の部屋子だったのが家康の側室となりました。将軍と側室の関係はその側室がどれだけ気に入られているだけでなく、時として自分の部屋子を側室にして、会社に例えるなら、グループ企業でその外の側室に対抗していたのでしょう。英勝院はとても聡明だった逸話が数多く残っている女性なので、自分の部屋子を家康に差し出すのに、十分計算していたのでしょう。

養源院 と家康公

お六の方は家康公が亡くなられた時、なんと19歳でした。びっくりです。一度は髪をおろしましたが、あまりの若さに秀忠公が復飾したそうです。ですが、家康公の法事で日光東照宮に行った際に急死しています。
何があったのでしょう。29歳という若さだったので病死は考えにくいので、何かしらの力が働いたのでしょう。

養源院 と松尾芭蕉

松尾芭蕉が「奥の細道」で日光に参拝した時に「 養源院 」を訪ねた記事が載っています。インターネットどころか電話もない時代です。ですから、政府には情報を伝達してくれる「媒体」はとても貴重でした。だから、「忍者」と呼ばれる特殊機関は各藩、重要な存在だと思います。そして、表向きは違う職業ですが、あちこちと旅行して歩くから、伝言を伝えたりする人(いわゆるスパイ)もかなり、大勢いたのではないでしょうか。

養源院 は情報の伝達場所

「松尾芭蕉」もスパイだったと言われています。「俳句」という隠れ蓑で全国を歩いてその情報をしかるべきところに届けているそうです。
奥の細道には「 養源院 」に行ったことが書かれています。もしかしたら、「奥の細道」には書けないもっと大事なことを伝えたりしたのではないでしょうか。

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